あるぴあ通信をお訪ねいただきましてありがとうございます。このページは、白馬で生きることを大切にしたいと願っている、白馬アルパインホテルオーナーの徒然草です。

 ホテルのホームページとは少し違った視点から、白馬の様々な表情や人びとの営みをお伝えしてまいりたいと思っております。

 時々お訪ねいただき、感想やご意見などお聞かせいただければ幸いです。



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2002年12月15日
「あるぴあ (alpia) 」の由来  朝焼けに染まるアルプスを目の当たりにすると、峻厳な峰々の圧倒的な美しさに心を奪われます。創造の神の存在を感じないではいられません。白馬のもっとも感動的な情景です。
 美しい山々の麓で山と深いかかわりを持ちながら暮らすことに、ふと至福の喜びを感じることがあります。
 「アルプスの楽園」、訪れる人にとってもそうであってほしいという願いからホテルのドメインとしました。


2002年12月16日
ロゴマークについて

 四季折々に色々な表情を見せてくれる白馬三山ですが、濃紺の岩肌と残雪のコントラストが美しい5月の山はとても印象的です。里は遅い春を迎え、木々が一斉に芽吹き、淡い新緑に染まります。天気も安定し、五月晴れに映えるアルプスの姿は信州安曇野を代表する情景です。
 長野市から白馬村に向かうオリンピック道路が美麻峠を越えると、突然白馬三山が目に飛び込んできます。アルパインホテルのロゴマークはそのあたりからの景色を元にしています。手前にオリンピックのダウンヒルコースとなった八方尾根が横たわり、そしてこの時期の白馬の風物詩、雪形の馬の姿が現れています。「テ」の字の上にご注目ください。白馬岳の頂上に向かって駆け上がる馬の姿が御覧いただけますか。古来より、この馬が山肌に現れると地元の農家が「代かき」を始めたということから「代馬(しろうま)」と呼ばれ、やがて白馬に転じ、今は音読みされてはくば村となりました。山の名前はいまだ「しろうま岳」です。






2002年12月17日
日本一のアルカリ泉と蛇紋岩

 白馬八方温泉はPH11.3を示し、アルカリ度は日本の数ある温泉の中で最高値を誇ります。古来美人の湯と賞される温泉はアルカリ泉で、特有のすべすべした泉質を呈します。八方温泉もつるつるとした質感で、肌の余分な脂肪をゆっくりと溶かしだし、さっぱりとした湯あがり感が残ります。
 八方温泉は八方尾根の山塊を構成する蛇紋岩の地質から湧出し、この岩の持つ特徴と深いかかわりを持つといわれています。フォッサマグナとよばれる大断層地帯に露出しているこの岩は、遠い昔に太平洋の海底に隆起したマグマがプレートとともに移動し、日本列島にやってきたものだそうです。
 今なお造山運動が続く北アルプスの地中奥深くから、大地の恵みの成分をいっぱいに含んでこんこんと湧き出る八方温泉。ゆったりと悠久のロマンに思いを馳せながら、身も心もリフレッシュ!といきましょうか。
 




【小日向の湯】

蛇紋岩の巨石の露天風呂


2002年12月18日
ジュニアクロス親子奮闘記(1)

  娘が小学校二年生のとき、担任の先生の勧めもあって、クロスカントリーのジュニアチームに入りました。寒い中でひたすら苦しさに耐えるだけに見えたこのスポーツを始めたいという娘の気持ちを正直不思議に思いましたが、精神鍛練になればという気持ちで見守ることにしました。不安定なクロスの板にまだ十分慣れていない、最初の大会の応援に出かけたときのことです。ワンピースを着せてもらい、スタートを待つ娘の体は小さくて折れそうに見えました。スタート前の緊張感に耐えている姿に、親の方が胸が熱くなりました。やがて秒読みが始まり、電光掲示板がスタートの時間を示すと娘は走りはじめました。ぎこちないよろめくようなスタートでしたが、今まで見たこともない真剣そのものの表情でした。思わず、頑張れ!と娘の名前を呼びましたが、喉のあたりに熱いものが込み上げてきて、それ以上声になりませんでした。こんな体験は初めてでした。子供の一生懸命な姿を見ることは、親にとってこの上ない幸せなのだと感じました。



2002年12月19日
ジュニアクロス親子奮闘記(2)  それから中学校までの8年間、仲間の友達にも恵まれ、娘はクロスカントリースキーに打ち込みました。三つ年下の弟もそんな姉の様子を見て、小学校一年生からクロスを始めました。前向きな姉と違い、慣れるまでに時間がかかりました。一年生の冬の間、大会に出ることを拒み続け、大会のたびに大騒動がありました。無理矢理後ろから押してスタートバーを切らせたこともありましたが、大声で泣きじゃくりながらすぐ戻ってきてしまいました。初めて完走できたのはシーズンも終わろうとしている三月のことでした。他の子供たちが当たり前のように走っている中で、どうしてわが子だけがと心中穏やかではなく、色々な方法で息子の気持ちを奮い立てたりしたのですが、この頃の息子とのやり取りは双方にとって、とても貴重な体験になったと思います。
 その息子が二年生になったとき、親しい友達がクロス部に入会してきました。初めてで不安いっぱいのその友達に、「俺なんか一年間スタートもできなかったんだぞ」と励ましたと聞きました。すこし大人になったな、と嬉しく思いました。

 子供のクロスカントリースキーには独特の面白さがあります。応援によって記録が随分変わります。運悪く転倒しても、そのあと子供が一層頑張ってタイムがよくなったりします。とても人間味のあふれたスポーツです。クロスを通じ、親子の距離もぐっと近づいたような気がします。


2002年12月20日
白馬山麓の大山桜  季節はこれから冬本番ですが、今日は桜のお話をさせて頂きます。白馬山麓には多くの野生の桜が自生していますが、白馬の桜には少し特徴があるのです。
 日本の桜の野生種は大まかに分類して約10種類だそうです。それぞれの種が環境に適応しながら全国各地に分散して生育している中で、長野県北安曇郡北部地域には七種類が混生しています。これはこの地域が地理的に日本の中央部に位置していることのほか、北アルプスなどの地形的変化にとんだ自然環境の影響などによるものと思われます。中でも白馬山麓には多群の桜が集中し、異種間で重複、接触して分布するなど、世界的にも珍しい地域といわれます。
  桜は自分自身の花粉では結実しにくく、異株間で交配しやすい性質のため、白馬山麓の桜は多くの種類の桜と交配し、様々な特徴ある桜を生み出してきました。特に、この地域が日本の南限といわれる大山桜は、花弁の紅色が特に濃いもの、花弁の直径が6センチに達するような大輪のもの、しだれ桜風のものなど、珍しい特徴の桜を生んでいます。堀田地区の矢口儀重さん宅の大山桜は樹齢200年を越える巨木で、ひときわ美しく優美な花をつける桜として知られ、「儀重桜」の名前で白馬村の天然記念物に指定されています。全国の著名な桜の巨木と比較しても花の美しさは格別といわれています。
  例年ゴールデンウィーク前後が見頃のこの桜も、平成14年は暖冬の影響で4月中旬に満開となりました。地球温暖化が桜にも影響を与えているのでしょうか。






「儀重桜」の花弁


2002年12月21日
白馬の水と空気で育ったブルーベリーのお話  白馬アルパインホテルでは、夏の1ヶ月間ほど直営のブルーベリーつみとり農園を開設します。収穫されるブルーベリーは生食用の他ジャムにも加工され、アルパインホテルの料理にも彩りを添えます。毎年贈答用にと宅配を希望されるお客様もいらっしゃいます。
 最近話題のブルーベリーですが、一番おいしい食べ方はといいますと、摘んだその場で5〜6粒まとめて口に放り込み、がぶっと食べるのが最高ですね。口いっぱいにブルーベリーの甘酸っぱい果汁が広がって、夏の暑さも忘れてしまうほどです。
 ブルーベリーは果実も愛らしい姿をしていますが、花はもっと可憐です。5月頃、ちょうどすずらんのような白い釣鐘形の花をつけます。甘い、優しい匂いがします。やがて花の付け根で緑の実が膨らみ始め、7月にあの宝石のような紫の果実を実らせるのです。
 ブルーベリーの成長を見守りながら、季節も少しずつ動いてゆきます。




2002年12月22日
季節の丸かじり、山菜パーティー  季節の移ろいを実感する年中行事のひとつに山菜採りがあります。一般的に山菜といいますとワラビやぜんまいがすぐ思い浮かびますが、毎年決まった仲間と出かける山菜採りはお目当てが少し違います。目的とするのは「うとぶき」という山菜です。ウドとも蕗とも違います。地域によって呼び方が違うようですが、独特の芹のような風味を持つみずみずしい山菜です。食べ方には色々なバリエーションがありますが、さっと湯がいて醤油をかけ、むしゃむしゃ食べる食べ方に勝るものはありません。季節のエッセンスを独り占めする気分です。
 このうとぶきという山菜は、標高の高い雪の消え際のような場所にしか生えません。そういった場所はたいがい険しく、足場が危うい場所です。ですからうとぶきはこの地域では珍重され、少しずつ味わって食べるのが普通です。自分で採った山菜は、誰に遠慮することなく、一晩の楽しみと決めて、思い切り豪快に食べられます。その醍醐味が忘れられず、毎年険しい山に挑むのです。

  一番最初にその目的地に連れて行ってもらった時には、到着まで険しい山中をなんと5時間も費やしました。そういう場所だけに、家に戻ってから同行の仲間とともに収穫の喜びを分かち合いながら、山の話に花を咲かせるのがこの上ない喜びになるわけです。山登りで汗を流したあとのビールも格別です。
  5月から6月の晴天の日を選んで、毎年続けられている、季節感満点のセレモニーです。





2002年12月23日
うとぶきの次は「かあたけ」です

 初夏の山菜採りの話題の次は、秋のきのこ採りのお話です。緑旺盛な季節が終わり、山の広葉樹が錦に染まってまもなく、かあたけの季節がやってきます。香茸というのが正式らしく、白馬ではなまってかあたけと呼びます。きのこは大体毎年出る場所が決まっていて、その場所をシロと呼ぶ慣わしがあります。自分のシロは簡単に他人には教えません。親子でも教えないという話も聞きます。時期を見計らって、シロへ出向き、収穫したら何もなかったように枯葉で覆い隠しておくというのが常道です。
 かあたけは大型のきのこです。大物が傘を広げるとスゲ笠ほどの大きさになります。素直に丸くなるきのこではなくて、まるで炎が燃え立つように、天に向かって異様な様相で開きます。縄文時代の火焔土器の風情です。
 生では食用にしません。日陰干しでじっくりと干すと真っ黒なかたまりになります。これを食べる時に水に戻し、ゆっくりと時間をかけて煮付けるのです。出来上がったきのこも真っ黒な状態です。とても食物とは思えないしろものです。しかしこのかあたけの煮付けの美味いこと。絶品です。しいたけのエキスを100倍くらい濃くした感じといいましょうか。これぞ奥山のきのこの雄としてふさわしい、野性味のある味です。昔から、結婚式などおめでたい席に欠かせない食材でした。
 残念ながら昨今、このきのこも数が減り、あまり食する機会もなくなってきました。それでも時折、ご近所の軒下などにひもに通したかあたけが干してあったりします。ちなみに、私の大切にしていたシロは、何年か前に新しいスキー場ができた折に、すっかり造成されてしまい、見る影もなく雲散霧消してしまいました。その後、まだ新しいシロにはめぐり合えておりません。



2002年12月24日
季節はずれの雪騒動

 食の話題が続きました。今回は季節の話題を。
 スキーシーズンが例年よりも1ヶ月も早く開幕となり、ここ数年暖冬に悩まされていたスキー場も今年は一安心。毎年この時期には雪乞いが恒例になってしまっていたのです。
 秋たけなわの10月28日の夜に降り始めた雪はまだ落葉も迎えていない里の木々をすっぽりと覆い、雪と緑と紅葉が混在する珍しい景色を演出しました。遅めに咲いた夏の花に雪が積もるという不思議な現象も見られました。けれども、収穫前の野沢菜や蕎麦が大打撃を受けたり、葉が茂っている上に重い雪の重圧を受けた木が折れたり倒れたりで、大きな被害も被ってしまいました。

 ともあれ、ウィンタースポーツのメッカ、白馬に雪がどっさり。少し湿りがちな地域経済の活性化のためにも、これが一番の特効薬です。



2002年12月25日
「山の子」達の残像

少し懐古調に、思い出を語らせて頂きます。今から30年以上前の、私が小学校の頃の話です。
  春になると、地区の児童会でスキー場の草原に蕨採りに出かけます。弁当を持って、一日がかりです。採った蕨をひとにぎりの束にまとめて、これが十円。地区の家を一軒ずつ回って買ってもらうのです。皆顔見知りの家々でしたから暖かく受け入れてくれました。収入も子供たちの活動の財源には十分な金額になりました。この資金を元に、秋、神社の広場で子供達だけの運動会を開きます。
 上級生は前日から会場の準備です。皆、家々からナタやノコギリを持ちより、お宮の裏山に木を切りに行きます。葉が生い茂った二、三メートルの枝を切り出してくるのですが、毎年決まって直径が二十センチもあるような大木に挑戦する者もでて、大騒ぎでした。その枝を使って広場のまわりに小屋を作ります。運動会の日の休憩場所です。学年別に作ります。時間がかかりましたが夢中でした。上級生の小屋は立派で羨ましく、来年は自分たちも、と思ったものです。蕨取りの資金は運動会の賞品に使います。各競技別に一位から全員の分まで。これも上級生が工夫して手配しました。手作りの、でも心おどる運動会でした。

  子供たちが多少の木を切ったとしても、ゆったりとした自然のサイクルにはほとんど影響のない時代でした。地域にもそれを許す寛容さがありました。山岳のふもとに生活する人々の営みの中で、山との関わりが子供たちの生活にも根を張っていました。



2002年12月26日
暖炉のお話  アルパインホテルのラウンジの暖炉はドイツのアンデスルーゲンという名前の暖炉です。薪ストーブと同じように全体は鋳物ですが、全面に耐熱強化ガラスの扉がついていて、締めるとストーブ状に、開放するとオープン暖炉にと使い分けができます。炉は二重構造になっていて、燃焼室の排気と、部屋を暖める空気の流れが別系統になっています。このため、薪特有の煙が室内に充満するといったことがありません。ただ全体が大型のため、鋳物の本体の他、石組みのマントルピースまでが暖められ、熱を発散する段階に至るまでに1時間はかかります。この手の暖房器具は直接熱源からの放射よりも、構造全体からの輻射によって部屋が暖まります。いったん暖まってからの暖炉は長く遠赤外線を放射しつづけ、Tシャツでも過ごせるくらいです。


2002年12月27日
楢薪を求めて

 暖炉の薪は楢をメインに使っています。堅木の楢は点火にコツを要しますが、燃焼が軌道に乗ると火力が強く、長持ちします。
 八方尾根の中腹はほとんど楢林なのです。半世紀前までの白馬では(白馬に限らずどこの地域でも)燃料に薪を使うことが当たり前の時代でしたから、里山は薪や炭の原料の供給場所としてよく管理されていました。今では里山に手を入れる人はほとんど見られません。春まだ山に雪が残っているうちに木を切り出し、そりで運び出す作業を「春木山を切りに行く」などと呼んでいましたが、そんなことばももう使われなくなりました。

 周囲を楢の木に囲まれて生活しながら、今使用している薪は知人の計らいで数十キロ離れた安曇野の奥山から調達してもらっています。

2003年1月6日
「大雪警報」発令中

  白馬村は天気予報の地域区分でいうと「長野県北部」に属します。日本で4番目に面積の広い長野県を、南北に大胆に3つのエリアに分類しているため、地理的条件が異なった広いエリアが含まれ、なかなか予報と天気が一致しません。このエリアには長野市の他、志賀高原や野沢温泉、飯山市などが入りますが、距離にしますと100キロ以上に及ぶ広範囲です。しかも山ひとつ隔てれば天気がまったく変わる、日本の屋根といわれるような山岳地帯ですので、予報もかなり大変なのでしょう。
  白馬の天気のスポット予想という試みは長野オリンピックの期間中、実際に行われていました。ジャンプ競技で歴史的なドラマを生んだ、気まぐれな「白馬の風」を正確に予測しようという目的からです。また、標高差1,000メートルに及ぶ滑降競技は天候に左右されることが多く、長野五輪の前に雫石で開催されたスキー世界選手権では悪天候による相次ぐ順延の末、とうとう実施されずに閉幕となってしまいました。長野オリンピックではこの教訓を生かし、順延に対応できるよう開会式の翌日に男子滑降の競技日が設定されていました。実際、刻々と変わる天気を最先端の技術で予測しながら、競技の実施の可否が検討されたのですが、悪天候にさいなまれ、順延に次ぐ順延の結果、競技が行われたのは4日後で、山岳スキー場の気象条件のきまぐれさに選手も大会スタッフもすっかり翻弄される結果となってしまったのです。
 地形の複雑な山岳地域の気象を的確に予測するということは非常に困難なようで、登山者の遭難が後を絶たない原因の一つでもあります。ちなみに長野県北部地域を細分化した「大町地域」(白馬村はここに含まれます)では昨日から大雪警報が発令され、猛烈な吹雪が一晩中吹き荒れました。安曇村では雪崩の被害も出たようです。スキーを産業とする白馬にとって、「恵みの雪」であることに違いはありませんが、時として「白魔」とも呼ばれる雪と、上手にお付き合いすることが白馬に住む秘訣のひとつです。

2003年1月7日
白馬のことば

 自分の気持ちを一番素直に表現できることばは生まれ育った土地のことばだといいます。たしかに、特定のことばが持っている微妙なニュアンスは、そのことばを生活の中で共有してきた人にしか伝わらないなと思うことがあります。心情豊かな表現に心をなごませることもあれば、本人の意図とは違う思わぬ鋭さを持った表現に受け止める側が傷ついてしまうこともあります。
 白馬にもたくさんの方言がありますが、日常よく使われていることばでありながら、外部の人にはなかなかそのニュアンスが伝わらないだろうなと思うことばに、疑問文の「かい」があります。「行くかい?」あるいは「行くかいね。」という風に使われますが、標準語の「行くかい?」が目上の人に使われることがないのに対し、白馬の「行くかい?」は尊敬語、もしくは丁寧語です。相手の気持ちを慮って、柔らかく訪ねる時、または促す時に使います。お年寄に優しさを込めて「さあ、行くかい。」という風に使うのです。
 また、そうでしょうか、と聞く時に「そうだかいね。」と使います。標準語の「そうかい。」の、突き放したニュアンスとは違います。かなり相手のふところに飛び込んだ言い方になります。この気持ちの行き来、やり取りがその土地独特のニュアンスを伝えているのだと思います。ことばを情報伝達の信号と割り切るなら、およそ必要のない部分かもしれません。けれど、文字の表面には現れない、心に訴えるニュアンスの部分が実は人間にとって大切なコミュニケーションの手段なのではないかとふと考えてしまいます。

 
2003年1月26日
県歌「信濃の国」

 長野県には「信濃の国」という県歌があります。長野オリンピックの閉会式でも満場の観客が大合唱しました。都道府県に歌があること自体珍しいことのようですが、もっと特別なことはその歌を長野県民ほとんどが歌えるということです。全国4番目の面積をもつ長野県は北から南までとても広く、「県民性」というのも必ずしも一様ではないのですが、どの市町村の人でもこの歌を歌う時は気持ちがひとつです。1番から6番まであり、県の地名や山河の紹介、産業や歴史上の人物など郷土の誇りとするものが次々に登場してきます。運動会で踊る、振り付けまであります。明治時代の長野師範学校の教師、浅井冽氏の作詞によるもので、永く県民の心の拠りどころとして親しまれています。

 
2003年1月29日
「聞け、無声なる神の声・・・」

「信濃の国」の作詞者、浅井冽氏はいくつかの学校の校歌も手がけていますが、私達八方の住民の母校、白馬北小学校(在学当時は北城小学校といいましたが)の校歌も浅井氏の作詞によります。この校歌を一家3代にわたって歌える家庭は少なくありません。あと数年で創立130周年を迎える歴史のある学校です。  
 白馬北小の校歌の一節に「見よ偉大なる自然相、聞け無声なる神の声」と歌われています。小学生にはとても難解な歌詞ですが、今にして思えば、この一節を子供たちに一番伝えたい気がします。ふるさとの山々の神が語る声なき声に耳を傾けるような、素直で真摯な心を持った人間に育って欲しいと思うのです。

 「ふるさとの山はありがたきかな」いつの日か子供たちもそんな気持ちになってくれるでしょうか。

2005年12月12日
奇祭、岩神輿(いわみこし)

 白馬八方温泉の源泉は、八方尾根と小日向山の間を縫う南股川の上流にあります。唐松岳、不帰岳、白馬鑓ヶ岳、杓子岳等の白馬連峰から流れ落ちる深い沢が集まる幽谷の地です。この八方温泉の源泉地から採取した巨大な蛇紋岩を御神輿に仕立てたのが「白馬八方温泉 岩神輿(いわみこし)」です。神秘的な深い緑色の蛇紋岩が山の神様の象徴として、うやうやしく神輿に奉られています。そもそもこの岩はもとの重量が600キロはある巨岩だったのですが、あまりにも重過ぎるという理由から一部を切り落として軽量化したという経緯があります。それでも岩の重さは約100貫(370キロ)、それを支える躯体の重さが50キロと、ゆうに400キロを超える重さがあります。 

 岩神輿は毎年八方地区の氏神様、細野諏訪神社の例大祭に奉納されます。八方区と八方口区の若者が力をあわせる、年に一度の大きな祭典です。八方に住む人々にとって、神の恩恵とも言える山と温泉の恵みの象徴として、この超重量級神輿を若者が担ぎ、区内を練って回るのです。若者40人の力が必要です。

 区内では、各家に引かれた温泉をそれぞれ湯桶などに汲んで神輿を迎え、若衆と岩神輿に勢い良く掛けるのが慣わしです。掛けるというよりぶっ掛けるという表現の方が当たっているでしょうか。地域繁栄の気持ちを込めて、ありったけの力でお湯を注ぎかけるのです。祭りが最高潮に達すると、神輿を担う若衆の熱気と温泉の湯気で神輿がかすむほどになります。ヨイサの掛け声も勇ましく、岩神輿が宙に弾む姿は圧巻です。

 細野諏訪神社に奉納されるまで、沿道の氏子らも誰かれかまわず温泉の掛け湯の洗礼を受け、湯の街ならではの熱いお祭り騒ぎが繰り広げられます。氏子自身のための、心から楽しめる秋祭りとして続いている岩神輿ですが、秋の観光シーズンのはしりにも当たるため、少しずつ観光客の方も増えてきました。ただ、湯かけが身上の祭りだけに、沿道の人々も思わぬハプニングに巻き込まれたりします。特に、携帯電話にはご注意が必要です。